1997-10-20 第141回国会 衆議院 財政構造改革の推進等に関する特別委員会 第3号
しかし、それは同時に、例えば私はもともと綿紡績の出身でありますけれども、当時は、綿紡績というものは一つの花形の産業でありました。しかしそれは、今振り返ってみれば、若い、優秀な、豊富な女性の労働力によって支えられてきた産業であります。そして、なお、中学校を卒業して実社会に出ていく方のまだ大変多い時代でありました。
しかし、それは同時に、例えば私はもともと綿紡績の出身でありますけれども、当時は、綿紡績というものは一つの花形の産業でありました。しかしそれは、今振り返ってみれば、若い、優秀な、豊富な女性の労働力によって支えられてきた産業であります。そして、なお、中学校を卒業して実社会に出ていく方のまだ大変多い時代でありました。
社会人の振り出しを綿紡績の現場からスタートさせました私にとりまして、女子労働というものはその当時からさまざまな思いがあった分野であります。そうした思いを持ちながら今日我が国の経済活動の中における女性労働者の貢献というものを考えますとき、その大幅な増加、職域の拡大等、女性労働者は我が国経済社会において極めて重要な役割を果たしておると考えており、議員の御指摘のとおりの状況と考えます。
私自身が社会人になりましたとき、綿紡績の会社に入りました。そして、私が会社に入った瞬間から日米の繊維問題が発生をいたしました。そして、会社を去りまして数年後、その会社は消えました。そういう意味で、私自身も厳しかった状況を今、思い起こしながら伺っております。
大変、変な言い方をしますけれども、私、大学を出てすぐ、綿紡績がやりたかったものですから、しかも綿紡績で自分の学校の先輩のいないところを一生懸命探しまして、そういう会社へ入りました。しかし、その会社は既に他社に合併をされまして、随分長い時間がたちました。私と一緒に入社をした諸君も、もうその本社には、被合併の立場であったこともあるかもしれません、みんな外の系列その他に出ております。
○国務大臣(塚原俊平君) ユニチカが平成九年の三月を目途として貝塚工場の綿紡績の生産を縮小、中止する計画を有しているということは通産省も承知をいたしております。
というのは、ちょうど私は日米繊維騒動が起きました時期に社会人になり、紡績会社の社員となり、まさにアメリカ側の措置によりまして、製品倉庫の中にどんどんどんどん売れない原反が積み重なっていった時期の綿紡績の社員であります。また、合繊への切りかえを失敗しまして、かつて私がいた会社はなくなりました。
具体的に申し上げますと、一つは綿糸の四十番手、これは比較的太い綿糸でございますが、これにつきまして日本紡績協会、綿紡績の主要な団体でございますが、ここから中国と韓国とインドネシアを対象としてこの緊急セーフガード措置を発動してほしいという要請が出ております。
○橋本国務大臣 かつて私が在職いたしました綿紡績の会社、既に姿を消しまして相当の年数がたっております。そういう状況を考えますときに、セーフガードの問題は大変私にも複雑な思いがございます。ですから、一部の業界から正式な要請がなされました場合には、これはきちんと手続を追って措置していく、検討していくことになる、そう申し上げておきたいと思います。
そして、私はその綿紡績の会社に入りまして、いきなりその渦中にほうり込まれたわけです。しかし、その当時、我々の先輩方には、敗戦、独立というプロセスの中で、アメリカは日本に対して保護者的な立場を必ずとってくれる、そして最終的には日本に理解を示してくれる、そういう期待感は非常に強かったように思います。また、私は、当時のアメリカにはそれだけの余力があったような気がいたします。
○橋本国務大臣 カレンダーを三十年ほど返してみますと、大変皮肉なことだなと今思いましたのは、私は当時綿紡績の社員でありまして、通産省の繊維担当部局に書類を届けるのに、玄関をくぐるたびに深呼吸をいたしておりました。委員はそのころ通産省におられたわけでありまして、当時、我々として非常に怖いお役所であったと改めて今思い出しております。
例えば、戦後の日本経済を支えてきた綿紡績業界などでは、操業停止、設備廃棄、自宅待機、これは例えば、具体的な企業名を出して恐縮でありますけれども、豊橋のユニチカ豊橋事業所の紡績工場は三月に四十二年間の操業に終止符を打とうとしているわけであります。名門東洋紡の従業員三千人の自宅待機は三カ月続いたままであります。鐘紡は九月末までに国内の三工場を閉鎖すると発表しているわけであります。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 先ほど来の御論議を聞きながら、ちょうど私が学校を出まして紡績会社に入りましたころは、輸出が奨励され、綿紡績の私どもとしてはその製品をできるだけ輸出することによって輸出証明書をもらい、それによって原綿を手当てしていた時代から、本当に大きな変わりだとしみじみ思います。
すなわち、綿紡績の場合は、昨年五月から五カ月間、不況カルテルを実施いたしました。その後引き続き自主減産努力を行いました。労使は歯を食いしばって生産調整に努力したわけです。その結果、一応過剰在庫を調整しまして、市況もようやく採算点に達するに至った。
ただいま先生からお話がございましたように、綿紡績業界は昨年の五月から九月まで不況カルテルを実施したわけでございます。それの背景になりました実態は、需要の低迷等もございまして、流通段階を含めた綿製品の在庫、これが五十六年の四月末で約八十万こりと非常に高いレベルになったわけでございます。そういったことを背景にいたしまして、不況カルテルによる生産調整を行ったわけでございます。
最もその原因の激しい綿紡績部門をとりますと、一九六八年に九万八千五百二十九人いました従業員は、一九八〇年七月には五万五百六十六人と激減いたしております。さらに、この紡績九社の資料しかないんでございますが、紡績九社が一九七三年以来売却処分いたしました資産は、三千五百四億七千四百万円に達しております。これは決算諸表から取り出した数字でございます。
したがって、いま綿紡績の採算状態は、営業採算で見ますと、一こり生産するたびに約三万円の赤字である。いま三品相場が仮に十三万五千円前後でございますから、原綿代ほぼ九万円ですね、加工直接コストだけで大体五万円です。これに営業経費というものを加えますと、生産すればするほど赤字が累積する、これが最近の現状であるわけでございます。
それから、化合繊維綿、紡績糸等については四億七千五百万円の割り当てになっているわけです。この割り当て数量は、いま言ったとおり国内産業に及ぼす影響を考えるわけでありますから、これよりオーバーしたとなると狂うわけであります。ところが、去年の四月から、いまお話がありましたとおり、これをいわゆる日別管理にしたわけです。
それから紡績業でございますが、綿紡績でございます。これは六万七千百トンに対しまして現在まだこれも動いておりません。これはもっとも指定がことしの四月に行われてございます。したがいまして、まだ始まったばかりということで動いておりません。 それから梳毛紡績でございます。
と書いてございますし、きのう、何か部会かどこかで綿紡績の設備廃棄について決定がなされたといういまお話がございましたが、私、実は先週の委員会で通産省に対しまして、綿紡績業界というものはいままで非常に足並みのそろわなかった業界だという定評があるというようなことを実は申し上げたわけであります。
○森下昭司君 いまの説明からまいりますと、私は綿紡績関係の方が指示カルテルが実は必要ではないかという感じを強くいたすわけでありまして、というのは、従来綿紡関係というのは足並みがそろわないということで有名な業界であります。石油危機の繊維不況の中で何回も不況カルテルを結成いたしましたが、大手の日清紡は業績がよいためにこの不況カルテルに加わらなかったという過去の実態がございます。
○国務大臣(江崎真澄君) 必ずしも減量経営だけではないと思いますが、これはもう時間をとりますので申し上げませんが、たとえば綿紡績は、さっき局長も答えておりましたように、昨年の夏非常に暑かったこととか、したがって天然繊維志向型になったとか、化繊の場合は円高差益があったとか、いろいろございますね。
○森下昭司君 そこで、今度の構造不況対策法——特定不況産業安定臨時措置法に基づきまして、綿紡績業の安定基本計画の概要がほぼ決まりまして、近く繊維工業審議会の決定を受けて通産大臣に申告するというような形になるようでありますが、この概要の中身の中で、本年十月ごろまでに現有設備能力の年間百二十万トン——精紡機にいたしまして約一千万錘でありますの六%に当たる六万七千トンを廃棄または格納するというようなことが
すでにいろいろこの点については重複しているようですからはしょりまして、綿紡績関係の、輸入と在庫の調整とをどうしていくかという問題についてだけ、ひとつ承っておきたいと思うのです。 いわゆる近隣の中進国からの輸入も、かなりばかにできない量になっております。
この繊維業界は、二年前は構造不況業種と言われていたわけですが、現在では減量による構造改善が進んだということ、綿紡績などについては原綿安と需要の回復で完全に黒字転換した、このように聞いているわけです。しかしながら綿糸やその製品の市況というものは大変な高水準で、そのために増産をさせようとしたけれども人減らしが進んでいるために思うようにいかない、増産もできない、このように聞いているわけです。
つまり、十三業種のうちで、まだ綿紡績業と梳毛の紡績業の二つは計画が策定されておりませんが、梳毛につきましては近く安定基本計画を策定する予定になっております。こういうのが現状でございます。 いまのお話でございますが、私ども、不況業種の実態につきまして、最近の状況はさまざまでございますが、概して申しますれば、なお不況による市況の落ち込みから回復しつつある過程であるというふうに考えております。